【令和のマストバイヴィンテージ Vol.18】 今買っておくべき名品は? by  Naoaki Tobe
Category: COLUMN
「mushroom」提供
ピンクボディは希少で価値が高い
VCM代表 十倍直昭私物
「sick」オーナー小笠原氏提供
「STYLE202」提供
VCM inc./
代表取締役 十倍直昭

2008年にセレクトヴィンテージショップ「グリモワール(Grimoire)」をオープンしたのち、2021年にはヴィンテージ総合プラットフォーム VCMを立ち上げ、日本最大級のヴィンテージの祭典「VCM VINTAGE MARKET」を主催している。また、渋谷パルコにて、マーケット型ショップの「VCM MARKET BOOTH」やアポイントメント制ショップ「VCM COLLECTION STORE」、イベントスペース「VCM GALLEY」を運営。2023年10月には初の書籍「Vintage Collectables by VCM」を刊行するなど、"価値あるヴィンテージを後世に残していく"ことをコンセプトに、ヴィンテージを軸とした様々な分野で活動し、ヴィンテージショップとファンを繋げる場の提供や情報発信を行っている。

https://www.instagram.com/naoaki_tobe/
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【令和のマストバイヴィンテージ Vol.18】
今買っておくべき名品は?

by Naoaki Tobe
release date
by Naoaki Tobe

vol.18 スカジャン編

 とどまることを知らない未曾有の古着ブーム。歴史的背景を持つヴィンテージの価値も高騰を続け、一着に数千万円なんて価格が付くこともしばしば。「こうなってしまってはもう、ヴィンテージは一部のマニアやお金持ちしか楽しめないのか・・・」と諦める声も聞こえてきそうです。

 でも、そんなことはありません。実は、現時点で価格が高騰しきっておらず、ヴィンテージとしての楽しみも味わえる隠れた名品もまだまだ存在します。この企画では、そんなアイテムを十倍直昭自身が「令和のマストバイヴィンテージ」として毎週金曜日に連載形式でご紹介。第18回はスカジャン編。

日本とアメリカの歴史とカルチャーが掛け合わさって生まれた唯一無二のヴィンテージ

 今回は、特別なヴィンテージを紹介します。こちらは、新潟のヴィンテージショップ「マッシュルーム(mushroom)」さんからご提供いただいた、1950年代のスカジャンです。古着を生業にするようになってそれなりの年月が経ちましたが、クオリティ、デザイン、サイズ、保存状態と、ここまでヴィンテージとして評価される条件が揃ったスカジャンはほとんど目にしたことがありません。間違いなく、現存するヴィンテージスカジャンのトップクラスの逸品です。

 スカジャンは基本的にリバーシブル仕様。とはいえ、たいていのスカジャンは表か裏、どちらかのデザインがイマイチだったりするんですが、このアイテムは完全に両A面。裏面もデザイン、仕様ともに抜かりはありません。

 ジーンズやスウェットなどと同じように、スカジャンはヴィンテージ古着を代表するアイテムですが、僕としては他とは一線を画した、特別な存在だと思っています。その理由は、日本とアメリカの歴史とカルチャーが生み出した、唯一無二のアイテムカテゴリーだからです。

 スカジャンが生まれたのは、1950年代の日本。第二次世界大戦で焦土と化した日本を占領、統治するためにアメリカ軍がやってきました。スカジャンの「スカ」は横須賀を意味します。第二次世界大戦前から日本海軍の拠点となっていた横須賀は、戦後アメリカに接収されて司令部が置かれるようになり、横須賀の街は米兵で賑わうようになりました。彼らが持ち込んだベースボールジャケットに、富士山や龍など日本を彷彿とさせる刺繍を施したのが、スカジャンの起源です。スカジャンの別名はスーベニア(souvenir=お土産)ジャケット。米兵が日本に駐留した記念につくったのが、スカジャンなんです。

 スカジャンの最大の特徴は刺繍ですが、1950年代当時その刺繍を請け負ったのは、群馬県の桐生の職人たちだったと言われています。桐生はもともと養蚕がさかんで、「西の西陣、東の桐生」とも言われるように1000年以上続く絹織物の名産地でした。刺繍の技術も非常に高く、「横振」と呼ばれる特殊なミシンによる刺繍は、婚礼衣装の特別なシーンで着用される打掛や振袖に施されていました。いわば、日本が誇る手仕事によるアートです。当時の人たちは、桐生で刺繍を施したスカジャンを風呂敷に包み、横須賀までの約145kmの道のりを歩いて運び、米兵たちに売ったそうです。その頃の日本は、戦争で全てを失った状態でした。どん底にあった日本人が、復興のためにアメリカ人相手の新たなビジネスとして生み出したのが、スカジャンだったのです。つまりスカジャンは、第二次世界大戦後という時代背景、日本にやってきたアメリカ軍、日本が古くから培っていた伝統文化、これらの要素が掛け合わさって生まれた、特別なアイテムなんです。こんなに深いストーリーを持ったヴィンテージは、他には存在しないでしょう。だから、僕はスカジャンに強い思い入れを持っているんです。

 スカジャンには、日本以外にも韓国やアラスカなど、アメリカ軍が駐留した地域をモチーフにしたアイテムが数多く存在しています。そういったスカジャンのバリエーションアイテムのなかで、最も有名なのがベトジャンです。1964年にベトナム戦争が始まってから多く作られるようになるので、ベトジャンは基本的に1960年代以降のもの。ベトジャンは日本だけでなく、ベトナム現地などでも作られていたようで、その多くはベトナムの地図が刺繍で描かれています。

ヴィンテージカルチャーの金字塔、現在の相場は?

 冒頭で紹介した博物館級のアイテムは別として、一般的なヴィンテージのスカジャンならば、10万円台からでも探すことができます。スカジャンは現行品でも数多く販売されていますが、僕個人としては当時につくられたヴィンテージでしか体験できない味わいを、多くの人に知ってもらいたいですね。

 ただ、かくいう僕は私物でいくつかヴィンテージのスカジャンを持っているものの、特別なシーンを除いて、着ることはあまりないんです(笑)。というのも、スカジャンは僕にとって「アート」という意味合いが非常に強いから。今回の記事でお伝えしたように、スカジャンは日本とアメリカを繋ぐ架け橋のようなアイテム。ヴィンテージカルチャーの金字塔のような存在なので、できるだけ美しい状態で残しておいて、このカルチャーを後世に語り継いでいけたらと思っています。

vol.18 スカジャン編

 とどまることを知らない未曾有の古着ブーム。歴史的背景を持つヴィンテージの価値も高騰を続け、一着に数千万円なんて価格が付くこともしばしば。「こうなってしまってはもう、ヴィンテージは一部のマニアやお金持ちしか楽しめないのか・・・」と諦める声も聞こえてきそうです。

 でも、そんなことはありません。実は、現時点で価格が高騰しきっておらず、ヴィンテージとしての楽しみも味わえる隠れた名品もまだまだ存在します。この企画では、そんなアイテムを十倍直昭自身が「令和のマストバイヴィンテージ」として毎週金曜日に連載形式でご紹介。第18回はスカジャン編。

「mushroom」提供

日本とアメリカの歴史とカルチャーが掛け合わさって生まれた唯一無二のヴィンテージ

 今回は、特別なヴィンテージを紹介します。こちらは、新潟のヴィンテージショップ「マッシュルーム(mushroom)」さんからご提供いただいた、1950年代のスカジャンです。古着を生業にするようになってそれなりの年月が経ちましたが、クオリティ、デザイン、サイズ、保存状態と、ここまでヴィンテージとして評価される条件が揃ったスカジャンはほとんど目にしたことがありません。間違いなく、現存するヴィンテージスカジャンのトップクラスの逸品です。

 スカジャンは基本的にリバーシブル仕様。とはいえ、たいていのスカジャンは表か裏、どちらかのデザインがイマイチだったりするんですが、このアイテムは完全に両A面。裏面もデザイン、仕様ともに抜かりはありません。

 ジーンズやスウェットなどと同じように、スカジャンはヴィンテージ古着を代表するアイテムですが、僕としては他とは一線を画した、特別な存在だと思っています。その理由は、日本とアメリカの歴史とカルチャーが生み出した、唯一無二のアイテムカテゴリーだからです。

 スカジャンが生まれたのは、1950年代の日本。第二次世界大戦で焦土と化した日本を占領、統治するためにアメリカ軍がやってきました。スカジャンの「スカ」は横須賀を意味します。第二次世界大戦前から日本海軍の拠点となっていた横須賀は、戦後アメリカに接収されて司令部が置かれるようになり、横須賀の街は米兵で賑わうようになりました。彼らが持ち込んだベースボールジャケットに、富士山や龍など日本を彷彿とさせる刺繍を施したのが、スカジャンの起源です。スカジャンの別名はスーベニア(souvenir=お土産)ジャケット。米兵が日本に駐留した記念につくったのが、スカジャンなんです。

 スカジャンの最大の特徴は刺繍ですが、1950年代当時その刺繍を請け負ったのは、群馬県の桐生の職人たちだったと言われています。桐生はもともと養蚕がさかんで、「西の西陣、東の桐生」とも言われるように1000年以上続く絹織物の名産地でした。刺繍の技術も非常に高く、「横振」と呼ばれる特殊なミシンによる刺繍は、婚礼衣装の特別なシーンで着用される打掛や振袖に施されていました。いわば、日本が誇る手仕事によるアートです。当時の人たちは、桐生で刺繍を施したスカジャンを風呂敷に包み、横須賀までの約145kmの道のりを歩いて運び、米兵たちに売ったそうです。その頃の日本は、戦争で全てを失った状態でした。どん底にあった日本人が、復興のためにアメリカ人相手の新たなビジネスとして生み出したのが、スカジャンだったのです。つまりスカジャンは、第二次世界大戦後という時代背景、日本にやってきたアメリカ軍、日本が古くから培っていた伝統文化、これらの要素が掛け合わさって生まれた、特別なアイテムなんです。こんなに深いストーリーを持ったヴィンテージは、他には存在しないでしょう。だから、僕はスカジャンに強い思い入れを持っているんです。

 スカジャンには、日本以外にも韓国やアラスカなど、アメリカ軍が駐留した地域をモチーフにしたアイテムが数多く存在しています。そういったスカジャンのバリエーションアイテムのなかで、最も有名なのがベトジャンです。1964年にベトナム戦争が始まってから多く作られるようになるので、ベトジャンは基本的に1960年代以降のもの。ベトジャンは日本だけでなく、ベトナム現地などでも作られていたようで、その多くはベトナムの地図が刺繍で描かれています。

ピンクボディは希少で価値が高い

ヴィンテージカルチャーの金字塔、現在の相場は?

 冒頭で紹介した博物館級のアイテムは別として、一般的なヴィンテージのスカジャンならば、10万円台からでも探すことができます。スカジャンは現行品でも数多く販売されていますが、僕個人としては当時につくられたヴィンテージでしか体験できない味わいを、多くの人に知ってもらいたいですね。

 ただ、かくいう僕は私物でいくつかヴィンテージのスカジャンを持っているものの、特別なシーンを除いて、着ることはあまりないんです(笑)。というのも、スカジャンは僕にとって「アート」という意味合いが非常に強いから。今回の記事でお伝えしたように、スカジャンは日本とアメリカを繋ぐ架け橋のようなアイテム。ヴィンテージカルチャーの金字塔のような存在なので、できるだけ美しい状態で残しておいて、このカルチャーを後世に語り継いでいけたらと思っています。

VCM代表 十倍直昭私物